2018
19
Nov

FUKIKOSHI HIROAKI [吹越 広彬]

愛のシノニムは不安である

前回書いたのを見たひとなら分かるとおもうが、このホームページは俺の独断と偏見のみによって構成されている

 

さて、なんでこんなホームページを創ったのかというとこれも、1つのアートの形だからである。

 

吹越 広彬という人間の精神世界を実に嘘偽り無く忠実に表しているこれ。もちろんネット上にあると言うことは世界公開である。

 

昔でいうと、石版に彫って残してみたり、現代では紙に書いて本として残したり、そして、今現在ナウはネット上に残す事ができる世の中ってな訳である。

 

なんの事はない。これは俺が死んだとしても残るものを今の内から創っておこうというだけだ。

 

後は今のうちから執筆という事をし続けていればこれを10年も続ければそれなりにいい文章を書けるようになってるだろうと。

 

そして、自伝でも出して、印税生活だなと考えてもいたりする。

まぁ、ただ書くのが好きだという事に最近気づいただけだけど。

 

結局世の中の凄いとか言われている奴らは生きてる時はそれほど有名ではないが、死んでから有名になったりするもんだ。

 

生きてる時から凄い奴も死んでからもっと凄いとか言われたりするもんだが、

 

店のホームページと分けているとこらへん察しがいい人は分かるだろう。

 

店のホームページでこんな事を書いてしまうとこいつはやばい=店もやばい!

悪い方向で。

 

と。そう捉えられる可能性がある。いや、まー店からこのホームページにリンクを貼っているんだが。

 

だから、こっち側の俺のホームページの方は店に関係ないという風にしといてくれ。

 

吹越 広彬という人間はどんなキャラクターなのか。大いに楽しんでくれればそれで結構なのである。

 

さて、今回は俺が自分の中で最もゴミのように何の価値もないと思っていた愛。そしてそのシノニムである不安についての話だ。

 

シノニムとは対義語という意味だ。

 

つまり、愛と対を成す語は不安であると定義して話をすすめる。

 

実はそもそも人間にはこの2つの感情を基準にしてあらゆるかんじょうが構築されている。

 

愛側の方に来ると、おおよそ人間が生きてて楽しいとか、わくわくするとかそこらへんの正の感情だったりする。

 

不安の方に行くと、恐怖や怒り、妬み、恨みそれらの負の感情の要素ばかりである。

 

要するに楽しいとか嬉しいとか、そこらへんの感情は全て愛から生まれている。

 

恐怖や怒りなどは全ては不安から生まれる。不安ありきの恐怖や怒り、妬み恨み等々ってわけだ。

 

人間が生きていく上に置いてどちらの感情側にいた方がいいかというと。みなまで言わずとも完全に愛側の方にいた方が良い。

 

不安側の感情に近いともう人生がどん底のように何をしても楽しくない。ということになる。

 

なぜなら、楽しい感情は愛側の方にあるから。

 

じゃあ冒頭で俺が言った愛というものが最もゴミ。というように言ったという事は俺という人間を客観的に見たときに、どちらかというと不安側によっているという事がそう言わせていたんだと思う。

 

さて、それだとあんまりよろしくない方向に人生が進んでいってしまうわけだ。

 

だから、俺は無理矢理楽しい。という方向に持ってきている最中というね。

 

これが、なかなかエネルギーを使う。少しでも油断すると不安側に来てしまうからだ。

 

特に酒なんて飲んだ次の日の二日酔いはもうやばいといふ。

 

何がやばいかって、いやもうやばいんだよ。感情がやばくて、それによって死にそうになるぐらいやばくて。とりあえずもうやばいんだよね。

 

お前の頭が1番やばい。

 

という話になるわけである。

 

さて久しぶりに酒に呑まれたわけだ。今回は本当にやばかった。はい、出た。やばいね。語彙力の乏しさからとりあえずなんでもかんでもやばいってつければ良いでしょ。っていう感じが見え見えなんだよ。カスがっ!

 

とこれを見ている人たちは思っている事だろう。今ならまだ引き返せるぞ。さあ戻るボタンを押すんだ。左の矢印のヤツな。ここから先は18禁だわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まだ、引き返してないところを見ると、つまり、どこがどのようにやばいか400文字以内で簡潔にかつ、想像しやすく伝えなさい。という事だろう。

 

400文字以内はわからんが、そんな大した事はしていない。ちなみにこれから先は7000文字ぐらいあるからよろしくどうぞ。

 

まず、仕事終わりに赤ワインとチーズを買いにいった。それを家で飲んでいた。あ、荒野という修司の映画を見ながら。

 

修司はもちろん寺山の事である。

 

映画を見始めてから1時間ほどして気がついたらワインが無くなっていた。

まだ、映画も1時間以上残っていたが、案の定楽しくなってしまい、飲みに行ったという訳だ。

 

ちなみに1軒目から記憶は断片的にしかない。

 

2軒目から先はもう覚えていない。

 

気がついたら俺は岩手県立盛岡美術館にいた訳だ。

 

……

 

おいっお前、

 

これには本当に驚いてしまった。

 

とりあえず、弁解の余地を俺に与えてくれ。

 

まず、次の日は仕事は休みだ。それは安心だ。そして、夜はそんなに遅くなかったはずだ。ちゃんとコンタクトを外し、寝ていた。

 

床にはチーズとオリーブが入った容器から溢れたと思われる、オリーブオイルとオリーブのタネが無惨に転がっており、ゴミ箱にはコンビニのおでんのゴミが捨てられていた。

 

もちろん記憶はない。

 

推測すると、レシートと金の減り具合からおそらく3軒でその日は終了したと見て良いはずだ。

 

その後、コンビニに行きおでんを買い、家に歩いて帰った。自宅でおでんを食べている最中かそこらへんの近辺の時間帯で、オリーブとチーズの容器を誤って床にぶち撒けてしまい歯磨きをして、コンタクトを外し、寝たという訳だ。

 

なぜ、歯磨きをした事が分かるかというと、起きた時の歯磨き粉の味、そして上着にべちゃべちゃに付いている歯磨き粉から察するに、歯磨きをしている途中で口をゆすがずコンタクトを外し、そのまま寝たという訳だ。

 

きっとエアーゆすぎをしたのだろう。べちゃべちゃな上着が物語っていた…

 

時間にして1時か2時ごろだと思う。

 

その後9時過ぎに目を覚まし、下道でとことこ盛岡の美術館を目指そうとなった。

せっかく盛岡に行くのだから、どっかの温泉にでも入ろうと温泉セットも用意して、車につけていた。もちろんカメラも。

 

美術館を見終わった後、繋温泉というなかなかと傑作な温泉の露天風呂に入り、紅葉を見ながら風情を感じていたというわけだ。

 

ただのお前の旅行日記かボケという話で終わらせては詰まらないだろう。

 

さて、この一連から、泥酔ってレベルではなかったはずだ。なぜなら次の日2日酔いはほぼなかったし、俺は自分が酒をどのぐらい飲めば記憶を失うかよくわかっている。ウイスキーボトルちょうど1本だ。

 

つまり、明らかにそこまで飲んでいないのに記憶が吹っ飛んだのである。

 

問題なのは明らかに記憶が飛ぶまでが以前と比べて相当早くなってきているという事だ。

人間は酒を飲むとアルコールが脳の海馬を麻痺させてしまう。海馬とは人間の短期記憶を司る部分だ。

 

なぜ、記憶がないのに家に帰れておでんまで買ってコンタクトも外し、歯磨きをし、ちゃんと寝れたかという所だが。これは記憶が長期記憶の方に保存されていたからに他ならない。

 

ちなみに俺はおでんを買いすぎておでん王子というあだ名までついているほどだ。

恥ずかしいからやめて欲しいと思っているのはここだけの話だ。

 

まあ、ここらへんの事はほとんどの人が知っているから何を誰もが知っていることを普通に書いとるんじゃお前は。という話である。

 

俺は、今年に入ってから凄まじい勢いで本を読みまくっているのだが、中でも最近特に重点的に見ている本は人間の精神や心。脳の本だ。

 

さて、人間の感情はどこから湧き上がってくるかというと、脳からだ。

 

脳の中でも部位によって、さまざまな機能を持っている。

 

人間を人間たらしめている最も脳の%をしめている1番でかい脳がおでこ近辺にある前頭前野。ここから人間の感情は生まれている。

 

感情とは心とは精神とは前頭前野が作り出した形のないモノであるという事だ。

 

人間の記憶と感情は密接に繋がっており、感情の起伏が高まっている時の記憶はいつまでたっても忘れないとはこれが関係しているのある。

 

精神病というものがある。

 

これは、いろいろな種類があるのだが、最近話題のアスペ。このアスペルガー症候群というやつはたぶん俺より皆さんの方が詳しいかなと。なぜならテレビでよくやっているから。

 

ちなみに俺はかれこれもう10年以上テレビを見ていない。家にテレビがないから、テレビ上の情報は一切わからん。なんでテレビがないのにそれを知っているかと言うと実家に帰った時に親が言ってたからだ。

 

実はこのさも現代の問題ですよと煽りまくってる感じを俺は実に嫌悪している。そもそもテレビ自体が巨大な洗脳装置だと俺は思っているからテレビは見ていない。

 

鬱病。躁鬱。アスペルガー。発達障害。先天的なものと後天的なものとに分かれているらしいが、ここら辺は俺はまだ勉強中だから知ったかで言ってはあまりよろしくないから、もっと深く学んでみようと思う。

 

ちなみに、イタリアには精神病院はないらしい。つまり精神病という病気もない。

 

特に鬱や躁鬱の場合は、脳の前頭前野が深く関係している。この前頭前野が不安側の感情に長時間晒され続けると萎縮してしまう。

 

前頭前野が萎縮してしまうと、感情のコントロール、そして、人の気持ちを考えるという事。ができにくくなってしまう。

 

前頭前野は感情を司る脳だから。

 

そして、猿と人間の脳で明確に最も違うのは、前頭前野の大きさなのである。要するに前頭前野があるから、人間は感情を生み出せるし、それにより記憶する事ができる。

 

それが、萎縮しているという事はすなわちそういう事である。

 

さて、それをどう改善していくべきかという話だが、1番簡単なのが音読である。

とりあえずなんでも良いんで音読してみる。

 

音読は脳を最も使う。前頭前野もよく使う。だから精神病を治すには音読が1番いいという訳だ。

 

あとは、イメージする。何をイメージするかというと愛側の感情が湧き上がる事をイメージする。そしてそのイメージによって愛側の感情が湧き上がってくれば1番いい。

 

これが、精神病と言われるやつを治す方法だ。

 

なんで、俺がこんなことを学んだり今こうして書いているかというと嫁がこのホームページを見ているからだ。

 

前書いたやつがこの前の離婚調停の時に話題で出てきてしまい、お前は自由を楽しんでるんだから子供いらないよな。的なそんな感じで言われたのである。

 

これには、俺も驚いた。見てるんだったら話は早いって事で。精神病の治し方を書いたに至る。

 

知らない人の為にも今年の3月に、よくある嫁が旦那の仕事中に子供を連れ去る。という事が起こった。それだけならまだいいが、ポイントは俺を騙し、裏切って連れ去ったという訳だ。

 

ちなみに嫁は不安側に感情が寄っているのでそのせいで無気力だったりかと思ったらいきなりヒステリックになるといういわゆる躁鬱の気がある。

 

勘違いして欲しくないのは俺はその件に関しては全て許す。人間は不安側の感情に支配されていると死が近くを彷徨き始める。

 

だから、俺は嫁と嫁の親を恨んでも憎んでもいない。怒りもない。むしろ学ぶキッカケを与えてくれてありがとうと感謝してるぐらいだ。

 

1番考えないといけないことは子供のことだ。離婚するのは完全に親同士のエゴでしかない。離婚する事によって子供の脳は深く大きなダメージを負ってしまう。

だから子供の為に1番最良な選択をしなければいけない。

 

ちなみに裏切った人間は裏切られた人間以上に脳に深いダメージを負う。

 

まず、自分の為。そして子供や、家族の為に不安側の怒りや妬み恨み憎しみを消そうとしている。反対に愛側に持って行ってる次第なのである。

 

脳みそをコントロールできればできると思っているので自分を実験台に使っている。

 

この感情と脳、精神病は密接に繋がっていて、それから派生する脳科学についても知る事ができた。

 

人間は脳の機能の3%しか使っていない。残り97%を使う方法は俺はもう20歳の時から色々調べているから、かれこれ10年間、自分を実験台にして色々と実験しているのである。

 

まず、俺は10倍速のフランス語を聞き取る事ができる。

なんてったって、俺はフランス語のハリーポッターと賢者の石でフランス語を覚えたから。

 

ハリーポッターのオーディオブックを10倍速にして聴きまくっていたのである。

 

だから、今でも俺は、あらゆる言語を一度聞いただけで完璧に真似する事ができる。というそれって特技か?と、特技にも満たない事ができるようになった。

 

あとは耳がよくなった。ちょっと嬉しいのである。

 

さて、これは自慢がしたいというわけではない。

 

おおよそ天才と言われている奴らは単純に脳の使い方がほかの人よりうまかっただけの話だ。

 

人間である以上すでに全員天才という訳だ。

 

ちなみに、俺は馬鹿だからと言って考える事を放棄している奴は嫌いだ。それは馬鹿という言葉を使っとけば学ばなくていいわと思っている奴の言い訳にしか過ぎない。

 

残り97%の脳の使い方だが、俺が学んでじぶんで実験して分かっていることだけ書いていこうと思う。

 

まず、人間は産まれた瞬間には2つの恐怖しかない。

 

1つは大きな音

 

2つ目は落下だ。

 

これ以外の恐怖は実は生きていく上で人間たちが勝手に作った恐怖しかない。要するに偽りの恐怖だ。

 

例えば、借金まみれとか、働けなくなったらどうしようとか。始まりの2つの恐怖以外は全部だ。

 

これらは不安側に感情が傾いているから起こるのである。

 

じゃあ、愛側に感情が傾けばいいのか。という話になるが全くその通りなのである。

 

愛側に感情を持っていったら脳は残りの3%より上を使えるようになるのである。

 

これは、意識と無意識の話になる。

 

人間は意識している状態の時はできる事が限られている。

 

それに対して無意識の状態の時の方は、意識状態より圧倒的にクリエイティブになれる。そして並列的に物事を処理することができる。

 

無意識の状態であらゆる情報を脳にぶち込んでやればいいのである。

 

例えば、今執筆しながら、フランス語と英語を聞き、映画を見てYouTubeを見るというような感じだ。

 

本当に頭に入っているのかという話だが、これが面白いことに無意識だからわからない。だけど、脳には全て完璧に記憶されているのである。

 

よく言われている事が、人間は産まれてから現在までを全て記憶していると言われている。

 

これは聞いた事があるだろう。

 

さて、記憶をしているがそれらの記憶を意識状態で呼び起こすにはコツがいる。

 

ようするにこうだ。人間は誰しもが自分の脳というハードディスクを持っている。

 

そのハードディスクに自由自在にアクセスする。そのアクセスした情報を使いどう生きていくか。

 

ちなみに、結論をいうが、愛側の感情に常にいたら人間はこのハードディスクにアクセスしやすくなる。

 

つまり、誰かを愛するとか、楽しく生きるとか、誰かの為に何かするとかといった時に無意識はよく働いてくれるという訳だ。

 

だから、俺は嫁と嫁の親を許す。それは自分のためでもあるし、まず自分の為。そしてそれの相乗効果として周りの為にもなる。

もちろん両親がいる事が子供にとっては1番いいと思っている。

 

良くある自己犠牲による周りの幸せというものは偽りでしかない訳だ。そういう状況の時、自己犠牲している人間は遅かれ早かれ崩壊する可能性が高い。

 

自己犠牲とは読んで字のごとく自己を犠牲にしていると自分自身が自覚した瞬間に自己犠牲になる。

 

逆に言うと、自己が愛側の感情にいて(楽しいとか嬉しいとか)誰かの為に尽くしている時は無意識を使いよりクリエイティブになり易い。

 

さて、ここで面白い話だが、脳は主語を理解できないらしい。

 

例えば誰かにお前は馬鹿だ。と言ったとしよう。

 

脳は主語を理解できないから、誰かに馬鹿だと言ったのに、自分に馬鹿といったコトになるのである。

 

誰かを騙したり、傷つけたりしたら、自分を騙したり、傷つけたことになる。

 

だから、昔からお天道様はちゃんと見てるんだよ。という事を言われて育ってきたと思うが、これは脳の仕組みを明確に表している言葉だという事がよくわかる。

 

これは逆もまた然りだ。

 

誰かを褒めたり、ありがとうと礼を言ったりしたら、自分に言ったことになる。

誰かの為に何かしたら、自分の為にしたという事になる。

 

つまり自己犠牲の定義も、誰かの為にして自分も嬉しいなと思うだけで自己犠牲では無くなる訳である。

 

俺にはこれが足りなかったと恥ずかしながら今の歳になってやっと気づいた。

 

もう一つ面白い話だ。

脳は過去、現在、未来を理解する事ができない。

 

全部同じ現在に起きている事になる。

 

これは何を意味するかというと、自分が理想とする未来を強くイメージする、ここでポイントだが、その理想とした自分になりたいではなく、もうすでになっていて生きているイメージをする。

 

俺でいうと、店が上手くいって世界に店舗展開していて、会社をたて、自分のブランドを創り上げ、ファッションブランドも作りパリオートクチュール協会に入り、パリオートクチュールコレクションに出て、ファッションデザイナー兼ヘアメイクディレクターとして、年収1兆円稼いでいるんだよ。今。

 

という事を事細かくイメージする。

 

ちなみにそうイメージする時は常に愛側の方向に感情がある時にする。そしてめちゃくちゃリラックスしている状態でイメージする。

 

そうすると脳はよりクリエイティブに無意識から意識の方向にそうなるにはどうすればいいかという事を教えてくれる。

 

例えば、年収1兆円を稼ぐという事は普通に美容室展開してたら難しいかな。そしたら美容室業と何か複数の事業展開をして、かつ、誰かに任せて自動的に金を稼げる仕組みを作ればいいなと。その仕組みを構築したらあとはそれを大きくしていけばいずれ到達するなと。

 

そんな風に脳は自動的に考えてくれる。

 

ちなみにこれを書いている瞬間も俺はあまり考えないで書いている。

 

手が勝手に動いてるって感覚だ。

 

こう言う事を書くと確実にそんな事は絶対無理だと言うやつがいる。

 

いい事を教えてやろう。人間が想像できる事は想像した瞬間できるのである。

それを想像できたと言う事は、もうできたに等しい。

 

ポイントはイメージは大きければ大きいほど良い。

 

有名どころで言うと、ベートーベンは素晴らしい曲を生み出したんだが、ベートーベン曰く音が降ってくる。その通りに俺はただ演奏しただけだと言っている。

 

これは、完全に無意識で作曲していた事を明確に表している。

 

アインシュタインもある日相対性理論を思いついた。

 

これは実はアインシュタインは、めちゃくちゃ考えていた。

 

そして、考える事をやめて、リラックスしていた時に今まで解けなかった事がふと解けてそこから相対性理論を思いついたって訳だ。

 

よくある引き寄せの法則とかと言われているやつだが、あれはなんで信用しないやつが多いかと言うと、まず詐欺に悪用するやつがいる。そして、そこらへんの本でも、なんで想像したらできるようになると言う事を明確に理論的に説明している本が少ないからだ。

 

というまぁ、ここらへんの事をひたすら書き続けたが、脳みそを使うカギはイメージするという事だ。

 

しかもより鮮明に愛側の感情が湧き上がるぐらいにイメージする。

イメージする時はリラックスしている時で。

 

はじめに戻るが、俺は多分このまま酒を飲み続けていると確実に死ぬと自覚している。

 

ちなみに記憶が吹っ飛ぶという事は脳に相当なダメージがかかっている。

それが20歳の時から(一応20歳の時からにしといてくだせーませ。)10年記憶が吹っ飛ぶ飲み方をし続けてきたツケは、ある日突然死ぬ。

 

というのを何かで見た気がする。気がするという事は確実になんかで見たんだろう。

 

という事で一度禁酒しようと思ったんだが、2週間で終了してしまった。

 

                                 

 

ちなみに、一滴でも酒を飲んだら死ぬと強くイメージしてしまうと本当にそうなってしまうのが、脳の怖いところでもある。

 

反対もまた然りと言いたいが、アルコールは脳の機能を麻痺させてしまうというから、どっちにしろ飲んで脳にいい事は全くないという事になる。

 

旧約聖書だかで神は二日酔いを創った。と書いてたようなどうだったかうろ覚えだが、昔の人間も二日酔いには困ってきたという事だな。

 

はい、ここまで読んだ人は凄い!おつかれさんっ!

 

 

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