この日も朝6時起きだわ。

 

まぁ、休みも仕事も変わらないよね。

 

この日は何してたかって言うと、ひたすら、音読してたわ。

 

まじで、おまえそれ面白いの?って話だけど、

 

面白いわけねーじゃん。

 

勉強なんてくそも面白くねーよ。

 

だから、どうにかこうにか面白くするか、続けるかって必死で考えたときに、音読しとけばどうにか続くってのを発見したから、ひたすら音読してたってわけよ。

 

そんでこれ書いてるのが次の日の朝なんだけど、

 

この日音読してた本が、「嫌われる勇気」って本だったんだわ。

 

この本は、アドラー心理学の事を書いた本で、

 

一言で言うと、自由に生きるには、人に嫌われる勇気もてってやつ。

 

あと、

・自己受容

・他者信頼

・他者貢献

 

これが幸せになる方法ってやつ。心理学って言うか、哲学っていうか、まぁそんな感じの本だった訳よ。

 

自己受容ってのは、これは、ありのままの自分でオッケー。今の自分が存在しているだけでいいって事よ。

 

自己肯定との違いは、自己肯定は、自分はこんなもんじゃない。自分はもっとできる。とか。自分のいる場所はここではない。とか。

 

とりあえず、思い描く理想の自分が本当に自分で、それになっていない自分は仮の自分だとかそういう考えでしょ。

 

自己受容は、今現在の自分を認め、今の俺さいこーってやつ。

 

他者信頼は、無条件で他者を信じるってやつ。

 

それ、裏切られるじゃん。って思ったりするじゃん。

 

まぁ、別にいいんじゃね。

 

だって、他人を信じるってのは自分の判断だけど、

他人が裏切るってのは相手の判断じゃん。

 

他人は絶対変えることができないんだから、それを考えるだけ無駄って事よ。

 

他者貢献は、自分が存在しているだけで、他者に貢献してるって思うだけで、オッケー。

 

ここもポイントなんだけど、社会的な役割で他者に貢献してるとかは全く関係ないんだよね。

 

それは役割じゃん。

 

存在というレベルで見ると、ただそこに存在しているだけで他者に貢献というか、全のうちの一という考え。

 

確かな、鋼の錬金術師っていう漫画でもあったけど、

 

「全は一であり、一は全である」って言葉があった気がするんだけど、完全にそれ。

 

この全っていうのは、人間だけじゃなくて、全生物、物質、宇宙、とりあえずこの世のありとあらゆるモノ全ての事になる。

 

そんで、存在しているだけで、貢献しているんだ。って思うだけで、オッケー。

 

別に何もしなくていいんだわ。

 

俺、存在しているだけで、貢献しているんだぜって思うだけ。

 

そうやって貢献感を感じられたら、幸せと。

 

そして、承認欲求はゴミ。

 

誰かに認められたいってのが承認欲求でしょ。

 

誰かに認められたかったり、誰かにマウントとって、優位に立ちたいとか、それって他人の判断じゃん。って事よ。

 

他人の判断は自分には関係ないから。

 

自分の判断を自分でするってのが、自分らしく生きるって事だから。

 

そこに対して、他人に嫌われようが、それは他人の判断だから。俺には関係ないと。

 

 

まぁ、大事なのは、過去でも、未来でもなく、今って事よ。

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