気がついたら、もう1月も17日だもんな。最近は、ずっと、紙ノートに色々書いていたんだわ。
まぁ、真っ白な紙ノートに万年筆で書いてたらめちゃくちゃストレス解消になるし、面白くて余った時間全部ノートに書いて過ごしてたんだわ。
んで、それUlyssesで書いてブログにアップするのでも楽しくできるのかなって今久しぶりにブログ書いてたりする。
結論。やっぱ紙ノートの方が面白いわ。
だけど、どんだけノートに書いていたとしても、外部に発信はしていないからあんま何も変わらなかったりするんだよね。
とりあえず最近はもうインプットはしたくなくて、ひたすらアウトプットばかりしてるんだわ。
自分の思った事、その時感じた感情とかをひたすら描きまくっているという。
それってめちゃくちゃストレス解消になるんだわ。
依存性が半端ないね。
飲みに行く100倍ぐらい楽しい。
だって、結局飲みにいったとしてもおっさんのくだらないどうでもいい自慢話だったり、女とやったとかなんとかっていうクソみたいにどうでもいい話しかないじゃん。
かと言ってバーとかで出会った女とも話したりしても、全然面白くない。
宇宙の話とか、AIとか三島由紀夫とか一切出てこねーじゃん。
くそもおもしろくねー。
だったら家で勉強したり、本読んだりしてた方が全然面白い。
そんでそれより面白いのが、ひたすら紙ノートに色々書いて、自分で書いたやつに対して考察したりして、更に考えてっていう自問自答のエンドレスってやつ。
ストレス解消だし、全然論理展開されていなかったりするんだけど、それがやがてちゃんと整理されてくるってのが面白いよね。
だから、書くのは基本なんも考えないで思いつくままに書いている。
テーマとかなんもない。
フリースタイルよ。
そっちの方が何かのテーマに縛られないで、自由に色々かけるじゃん。
文節とかはめちゃくちゃだけど、まぁ、それでいいじゃん。
結局のところ創造物ってのは自分がこう思って想像したって言っても、見る側の感じることは自由だし、必ずしも製作者とおんなじ考えにはならないから。
つまり、おれは俺の想像したいものを思う存分創ってそれで終わりという。
あとは、見る側の自由な解釈でよろしくどうぞって感じ。
俺はさ、今めちゃくちゃ幸せなんだわ。
嫁も子供もいなくなった。彼女もいなくなった。
みんないなくなった。
だからこそ楽しい。
一人でいる時間が何よりも大切だって思うんだわ。
一人で自分と向き合って色々考えて、その考えたことをひたすら形にして、それを自分でみてまた考えて。っていうその終わりのない繰り返しをしている時間が幸せでたまらない。
だから、おれ今のところ一生一人でいいわって思ってるんだよね。
結局、結婚したからって幸せとは限らないし、彼女がいたからって幸せではないし、金持ちだからって幸せじゃないし。
じゃあなんならおれは幸せなんだってなった時に、一人でいるとき。自分と向き合っている時。なにかを想像している時。
それがおれが一番幸せを感じられる時なんだわ。
人それぞれだからな。別にこの考えが他人に否定されようが心の底からどうでもいい。
どんなやつでも俺に命令しようが、俺は一才他人のいうことは聞かないから。
俺にいうことを聞かせられるのは俺しかいないんだわ。
みんな離れてったらいい。俺の味方が世界中に一人もいなくても、俺自身は絶対的に俺の味方だから。それで十分。
人ってのは絶対他人を理解する事ができないって俺は思っている。
理解しようと思うことはできるし、そういう風に行動することはできる。
だけど、他人の気持ちを完全に理解することは不可能なんだわ。
気持ちやら感情は川みたいに移り変わっていくものだから。
つまり、やっと理解したって思った時には、その理解したこととは違うことを考えていたりするもんだから。
つまり、他人に気に入られようとか、理解しようとかそういうのは無駄ってことよ。
一番大事なのは自分がどう思うか。どう感じるか。何をしたいのか。それだから。
自分軸で人生生きないと面白くないんだわ。
俺はそう思っている。
他人軸で生きている奴ってくそつまらないんだわ。
他人にどう思われようがどうでもいいじゃん。
私を支えてくれる人と一緒になりたい。とか。吐き気がするわ。
おめーなんか支えたくねーわ。
てか、他人が自分の思う通りに動くっていう考えが終わってるんだわ。
おれはもう他人の人生を支えるつもりもないし、自分軸の中でひたすら自己とは何かを自問自答しながら楽しんで生きていくわ。
Ma vie est l’art.
俺の人生はアートだ。
っていうフランス語。
おれの人生そのものをアートにして生きていこうって思ったんだわ。
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