最近はよく執筆するようになった。

 

なぜかというと、俺はここ2か月ぐらいずっと頑張らないように生きて行こうと心がけていた。だから、自分の好きなように色んな所に行き自分のやりたいことをやったりして充実した日々を過ごしていた。

 

そこでふともう完全に昨日からだが俺はまた執筆し始めた。ここ2日間のやる気具合は俺自信も非常に自分に驚いているのだが、まぁやる気がでてる時に集中して執筆していこうと思っていまこういう風に書いている。

 

なんで俺はブログと言わないかというとブログやってますと言うと、これはおれの完全なる主観だが、あまり洒落た風には聞こえない。だけどそれを執筆していると書くとおおっ!!なるのは実に言葉というものは不思議だなと思ってきてしまう今日この頃、とか思ってたりしてる。

 

言葉には様々な意味があるが、何を当たり前のことを言っとるんじゃ。という話なわけなんだが、言葉とは人間を人間たらしめている最も大事な方法の1つだったりする。

 

人間は言葉をかえして想像し人に何かを伝え、人を動かしあらゆるものを創り続けてきた。今の現代では1番ダイレクトに人に物事を伝えるにはYouTubeなどの動画が一番有効的だと思ってるかどうかわからないが、動画系のコンテンツが非常にあふれている。

 

ほんの少し前まではテレビだったのに、この動画系コンテンツが出てきてからほぼ完全にネットに移行している。

 

という事はTV局などは完全にスポンサーに見放されてやがて潰れてしまうだろうと容易に想像することができる。

 

テレビに出ている人間たちも、まあテレビ局潰れるからちょっとネットの方に移行しようとなっているのをネットなんかで見た気がする。

 

テレビのニュースにそんなことはのるはずはない。

ネットニュースで俺は見た。

 

さて、動画という媒体はダイレクトに物事が伝わるのが一番のメリットだが、同時にデメリットも存在する。

 

想像力を使わないということだ。要するに脳みそを働かせないで物事をダイレクトに捉える事が動画における一番のデメリットであると俺は考えている。

 

逆に脳みそを一番よく働かせて想像してくれるものはなんだろうか、と考えた時に、それが言語というわけなのである。

 

言語、そして文字。例えば小説を見てその小説に書かれている文字によってイメージする。

光景を人はイメージして、登場人物をイメージする。

その文字に書かれた詳細な情報を元にして、小説の物語をイメージする。

 

俺は本の中でいちばん好きなのが小説だったりする。

その中で1番好きな小説は、三島由紀夫だ。

 

三島由紀夫の描写力は実に参考になることばかりである。

次に太宰治が好きだったりする。

 

太宰治は最も人間の。人間らしい弱さが至極滲み出ているからそこらへんが好きだったりする。

 

もう1人は寺山修司だ。寺山修司は、言葉を使い、彼の混沌とした世界を想像させてくれる。それが面白い。

 

さて、俺はコンテンツとしては、言語や文字に重点を置いて発信していこうと考えてる。

もちろん動画コンテンツもあるが、動画コンテンツはいまのところあまり面白いと感じてないから要するにあんまやる気が出ないわけである。

 

一番面白いのはやはり、文字だ。文字によってその人たちに自己の世界を想像させることができたら、それほど面白いことはない。

 

そして、オレはその文字を自分の言葉で執筆していくことに事に、今現在ものすごく楽しさを感じている。

 

さて俺は趣味がたくさんある方だ。

まず、美容師全般、カメラ、そして読書、アート、映画、音楽、サッカー、DI Y等々 。いろんな要素をやってはいるが、ポイントとしては飽きたらすぐ辞めるということだ。

 

すぐ辞めると言ってもずっとやらないというわけでなく、また面白いとやる気が出た時にやるようにしている。

 

なぜこういう風にしているか、というと、人間は、楽しいや面白いというそのような感情を抱いたときに、その物事をやるとすさまじくクリエイティブになるからだ。

 

これは前回の記事で書いてあったが、俺は努力とか頑張るとか根性とかそういう言葉が嫌いだったりする。

 

単純な話だが。例えばいま自分が物凄く面白いことをしているとしよう。楽しいことをやっているとしよう。

 

それは努力してることになるのか?頑張っていることになるのか?という話だ。

何を言いたいのかというと、楽しいや面白いと思えることは、時間を忘れて没頭することができる。

 

それが非常にクリエイティブだということだ。

 

才能という言葉はどういう風に定義されるかというと、その物事をいつまでも長く、とことん楽しめるかどうか。という風に定義することができるとは思っている。

 

思うに、才能はそこしかない。

 

まず、何かしたいから努力するとかかんばると言っている段階でその人間には才能がないという事になってしまう。

 

なぜなら、人間の脳みそは何々しなければしなければならないというhave to という状況になった時に意識が働く。

 

意識上の力というものに関しては、無意識の力に比べてみるとまったくもって話にならないぐらい弱い。

 

だから楽しい何々したいというwant to いうの方の状況にもっていってる状態ならば無意識が働きクリエイティブに、信じられないようなパフォーマンスを発揮する事ができる。

 

これは今の日本のサッカー代表を見ていて、それを非常に感じてしまう。今の日本サッカー10番と9番に関しては本当にサッカーを楽しんでいるという風にしか感じてならない。だから今までの日本人にはいなかった天才的な動きをしていたりする。

 

今月のnumberという雑誌に載っていたが、努力してるとか頑張っているとかが全くない。単純にサッカーを楽しんでいる。そしてピッチの上では考えないようにしてるという風なインタビュー記事が載っていた。

 

まさしくこの事を表している。

 

人間というものは、特に、日本人は何かを成功するには、まず努力して死ぬほど頑張ってその先に成功や栄光が待っている。

 

という初めに辛いものがきてしまっている。

忍耐とかもそうだ。昔の人はものすごく忍耐強く辛抱して、辛い時を乗り越えて頑張ってきてやっと成功するんだ。という事を俺らは子供の時からよく聞かされている。

 

俺からしてみたらこういった考えには何の価値もないと子供の時から思っていた。

脳科学的な観点から考察してみたら、無駄どころかマイナスにしかなっていない。

 

辛さや努力、頑張るといったことは、しなければいけない。と脳みそで認識され、意識的にしか行動できなくなるから、生産性が非常に悪い。

 

よくある話だが、よく勉強して、いい学校にいって、いい所に就職しなさい。と。誰しもがそんな事をひたすら親や、教員に言われていた事だろう。

 

それって、単純に楽しいの。

と考えたときにつまんなそうだなと思った。

 

現代ではその考えは完全に破滅していることは誰しもが知っているだろう。

なぜなら、日本の勉強とは単純なただの暗記でしかないからだ。応用が全くない。

世界の教育からしてみたら自主性が全くない教育の仕方だ。

足並み揃えて、出る杭は打たれる国柄は、完全に従順な奴隷を作る洗脳でしかないと。俺は昔から思っていたから、基本親や教員の言うことは全く聞かなかった。無駄どころか確実に自分にとってマイナスになってしまうから。

 

日本の常識は世界の非常識。そして世界の常識は日本の非常識とよく言われているが、まさしくこの通りだ。

 

だから、そういう固定観念というもの。俺は常にぶち壊したいと思っている。

固定観念をぶち壊すに一番費用対効果が高く、かつ効果が至極高い媒体は、文字と言葉である。

 

例えば、映画を作る場合は莫大な金がかかってしまうが、言葉で伝える、文字で伝えると言った場合、現代では、サーバー代とドメイン代で十分だ。大した額ではない。

 

それに、電子書籍で出版をするとコストが0で出版する事が可能だ。

 

後はひたすら自分の言葉で文字で、それら1つ1つを書き記していけばいいだけの話だ。

そこに金はついてくるか。金を稼げるのかという話だが、それがまたネットの面白いところでそれなりに稼げたりする。

 

今現在、俺自身全く稼いでいない。そもそもこのホームページにはまだ広告を貼っていない。

だからこれは事実上、ただ俺の自己満で動いているわけだ。

 

しばらくはそれでいいと思っている。まずは、金を稼ぐというよりかは、より多くの言葉を残していきたいと思っている。

 

今これはほぼ編集をしていない状況だが、とりあえず、書いてあとでゆっくり修正していったほうが効率的な訳で。だから、誤字脱字そして文法構成はあとで直していくんで悪しからず。

 

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